畳の歴史

 

畳の文化は日本独特のモノ

 
  置き畳ドットコム 日本の文化は、中国大陸からの伝承をもとにしたものが多いのですが、畳 (たたみ)は日本民族の生活の知恵が生み出した固有のものであり、湿度が高く、天候の変化が激しい日本の風土で、「敷物」として育てられ、伝承されてきました。

 瑞穂(みずほ)の国にふさわしく、いなわらを利用して床をつくり、インドより伝わった野生の「いぐさ」を改良栽培して畳表(たたみおもて)を織り、 「畳」という素晴しい敷物をつくりあげたわけです。

 明治以降の急速な文明開花の時代にも、畳は日本の住まいの敷物として重要な役割を果たしてきました。

 フローリングの質が上がり、フローリング施行工事価格が安くなるに従って畳の部屋がなくなりつつありますが、自然素材としての畳の良さはいまだもって健在です。

 「畳」の文字は、古事記や日本書紀、万葉集などに「管畳」、「皮畳」「絹畳」といった記述で登場しており、当時は、こうした敷物の総称で、畳める (たためる)もの、重ねるものの意味を持っていました。

 折り畳自転車の畳にこの文字が使われるのも理解できるでしょう。
 

奈良時代ごろ(710年)

   
 現存する畳の古いものは奈良時代のもので、奈良東大寺の正倉院にある聖武天皇が使用した「御床畳」(ゴショウノタタミ)という木製の台の上に置かれ ベッドとして使われたものです。これは現在の畳と同じように真薦(マコモ)を編んだ筵(ムシロ)のようなものを5〜6枚重ねて床として、表にい草の菰(コモ)をかぶせて錦の縁をつけたものです。この台を二つ並べて寝床として使われていました。


 「古事記」に倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の際、弟橘姫(わとたちばなのひめ)が入水のくだりに「海に入らんとするときに、菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を波のうえに敷きて、その上にくだりましき」とあり、また神武天皇の御歌にも「あし原のしけき小屋にすが畳いやさやしきて我二人ねじ」ともあります。

 古来から畳が敷物として使われていることがわかりますが、この頃は、現在の莚(むしろ)のようなものであったと思われます。

794-1179年にはすでに畳はあったとされていますが、その前は敷物の一つのバージョンだったようです。
 

 

平安時代ごろ(794年)畳は権力の象徴であった

  置き畳ドットコム 平安時代に入って貴族の邸宅が寝殿造 (しんでんづくり)の建築様式となると、板敷の間に座具や寝具などとして畳が所々に置かれるようになりました。この置き畳として使われている様子は絵巻物等に描かれています。

このとうじ必要な部分にのみ畳を置きました。
 

鎌倉時代(1192年〜)

 
 やがて鎌倉時代から室町時代にかけて書院造(しょいんづくり)が完成されると部屋の周囲に畳を敷き真ん中を残す使い方から、部屋全体に畳を敷き詰める使い方になりました。

 それまでの客をもてなす座具(ざぐ)であった畳(座布団に近いモノ)が、建物の床材になり始めていきました。
 
 

室町時代(1392年〜)

 
 室町時代になって畳が部屋全体に敷きつめられるようになり、桃山時代から江戸時代へとうつり草庵風茶室が発達し、茶道の発展に伴って数奇屋風書院造に変わりました。

炉の位置によって畳の敷き方が替わり、日本独特の正座が行われるようになったと言われています。
 

 

安土地桃山時代(1573年〜)

 
 桃山時代から江戸時代へと移るに従い、書院造は茶道の発展によって茶室の工夫や手段を取り入れた数寄屋風の書院造になっていきました。

茶室建築から畳はやがて町人の家に引き継がれていきます。
 

 

江戸時代(1603年〜)

  置き畳ドットコム 江戸時代になってから「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」という役職が作られるほど、畳は武家、特に将軍や大名にとっては重要なものになりました 。

 畳が一般のものとなったのは、江戸中期以降のことであり、農村においてはさらに遅く明治時代になってからでした。

江戸時代の長屋では、畳は長屋を借りる店子が運び込んで使ったといわれており、大家が用意しておくものではありませんでした。

それだけに畳の手入れをして長持ちさせる知恵を身につけていったのです。

それまで、い草は、自然のものを用いたり、小規模に作られてはいましたが、岡山や広島などで本格的に栽培が始まり、江戸時代後半には畳職人という職業も確立されて庶民の住まいにも徐々に使用されていました。置き畳ドットコム

 

 

明治時代(1868年〜)

   畳の規制(柄など)が解かれて、一般社会に広く普及するのは、明治維新後になります。

 畳干しをこまめにして、傷むのを防ぎ、表がやけたら裏返えしをして使うというこうした習慣は今でも続いています。
 

戦後


 経済の高度成長とともに生活様式も洋風化し、座る生活から椅子の生活に変わり、絨毯(じゅうたん)などが 普及し始めましたが、住まいは畳の部屋が基本でした。

 畳のいろいろな効果の中に断熱や遮音があります。古い時代のマンション、ビルなどでは板張り(フローリングと呼ばれる以前)を利用すると数々の問題を引き起こし、ほとんどの居室は畳を使いこれらの能力 を活用していました。
 

〜昭和〜(1990年〜)

 
 板張り(フローリング)が、価格の安さと品質の向上と共に普及してきました。
 和室の設計にはフスマ、障子などの付属物が必要となり時間と費用がそれなりに必要です。住宅価格のコストダウンにより畳の部屋づくりが見送られることが多くなりました。

 しかし、逆にフローリングの不便さ(防音、断熱、くつろぎ感が不十分)も認識されて、畳の必要性を見直す動きもあり、フローリングに敷いて使用する「置き畳」など畳の新 しい製品が普及しつつあります。

 最近では、畳の素材も昔の藺草(いぐさ)とワラだけでなく、さまざまな新しい 化学素材などが開発されて使われるようになりました。

機能性も高く、多様化した消費者ニーズに対応できるようになってきています。 (洗える畳、カラー畳、ヒノキの畳など)

 現代の住宅では外断熱や高気密、高断熱などの快適に暮らせる住宅が普及しつつあります。このような住宅では畳の断熱性能は問われませんが、いやしの空間としての畳の利用が進みつつあります。

 来客のために半畳タイプ「置き畳」と「布団」とを用意しておくと、フローリングの間も寝室として利用できます。

畳敷きは「子どもの学習効果に有効」との研究が、北九州市立大の森田洋准教授(生物資源工学)の研究で発表されました。(2008年2月6日)
 

〜平成〜(2000年〜)


 畳表生産のピーク5500万畳より年々生産量が減少し、2010年では国産、中国に化学表を含めても1300万畳分ほどになりました。その間、畳ワラ床制作やイ草生産のための農機具が次々と生産終了となっています。近年の異常気象も天然イ草生産者にとって打撃となって、熊本の生産農家も600軒程度です。

畳店の数もピーク時2万軒前後から6000軒程度になったといわれています。

琉球畳(実際には縁無し畳)が流行となり新築家庭によく取り入れられるようになりました。

近年、住宅構造や消費者の意識の変化により、ますます和室の減少が顕著になりました。

 

〜平成〜(2015年〜)

 
  2014年の作付面積は739ha 前年よりも79ha減少しました。収穫量は1万100トン14%減少。国内の畳表生産量は367万畳これは7%の増加。い草が採れていないのに畳表が増えるのは、い草の輸入分があるとか、前年度持ち越しのい草があるというマジックがあるからですが、畳表を薄く織って枚数を伸ばしていると考えられなくもありません。

ここ10年の比較  平成17年度 生産農家1170戸 畳表生産782万枚
         平成26年度 生産農家576戸 畳表生産367万枚 

輸入数量は 毎年国内生産の約4倍です。

いずれにしても天然い草の畳表ベースでは半減です。化学表の伸びが著しいので、一概に半分になったというわけでもありませんが、30年前10億枚有った畳は毎日6万枚廃棄され現在4億枚と言われています。

後継者も少なくなり、さらに半減していく事と思われますが、化学表はなくならないので、こちらが支えていくことになりそうです。

2015年は消費税増税の折畳表が足りずに大暴騰しています。


   

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